震災後、石巻を訪ねる
2011-04-03


4月3日。

ガソリンがなんとか目処がつき始めたので、
石巻方面にお墓の様子を見に行くことにしました。
母と多賀城の伯母を車に乗せて朝に仙台を発ちました。

生活が安定してきたとはいえ、これから向うところは
報道で知る限り自分達の地域よりも被害を受けているところ。
自分達は明るさを保っているものの、やはり緊張があります。
三陸自動車道に接続する際、多賀城の国道45号を通ります。

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先日の訪問では分からなかった、多賀城の、
まだ道路脇に詰まれた瓦礫を目撃しました。
ここに来る前にも、川を渡る時に橋の上から、
波に運ばれてきた船が何隻もひっくり返っている光景を見ています。

三陸自動車道は震災前にはどの人も高速道路の感覚で通過していましたが、
(実際は高速道路ではない。)この日は日曜ということもあり、
ガソリン確保がなんとか安定してきた人達が次々に親戚家族の下へ向う様で、
通常の道路の様に渋滞が生じておりかなり低速での通過になっていました。
その車の列の中には、先に行くほどに自衛隊の車両が目に付くようになります。

今、日本の人々にもっとも求められ、活躍していると言っていい自衛隊。
かつて自衛隊の皆さんに暴言を浴びせた人々へ、どう見ても
その行動をもって一矢を報いるかたちとなったにも関わらず、
どうだこれこそが、などというちっぽけなプライドはとっくに投捨てて、
ただひたすらに人々を助け続けることに専念する姿にただ頭が下がります。
人々の顔が明らかに感謝の目で見ていることがわかります。


石巻河南で三陸道を降りると、一見すると落ち着いている様に見えますが、
よく見ると震災の前よりも道路には土埃が舞い、
田畑は泥を被った様になり、やはり被害の爪あとを感じます。

一言に石巻と言っても、市町村合併で広域になっているので、
石巻のなかでの地域によっての差もありますが、
この数年で開発が進んだ蛇田地区の生協やヨーカドー、
セブンイレブンなどに立ち寄ると、トイレなどに制限があったりするものの、
品揃えと総量に関しては仙台の方より豊富なのではと思えました。

こちらの方面への物資搬送が優先されているということなのか、
このさらに先の海岸地域へも行き渡ることを祈ります。

一方で閉店しているところもまだまだ多く、
かつて、石巻焼きそばを頂いた「廻鮮丸」も休業状態。
この時は石巻焼きそばの幟は見つけることはできませんでした。
少しでも早く、あの町おこしを担うB級グルメが帰って来ることを願います。

住宅の状況は、ライフラインも復旧し始めているものの、
石巻では湿地を埋め立てた地盤のゆるいところもあり、
その上に建っていた家は土台ごと数十センチ下に落ち、
そうなるとパイプは損壊し、ただハコがある様な状態。
そんな状態で住まなくなっている家もあり、
すぐ近くに仮設住宅と見られる建物が建てられていました。


お墓に着いた我々を待ち受けていたのは予想を上回る光景でした。
墓石がずれ、崩れ、捻られ、飛んでいる、あらゆる動きをしている。


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