ある日、どこかで
2010-07-19



ある日どこかで
(禺画像])

ある日どこかで(原作)
(禺画像])

昨日の小島秀夫に倣いまして「ある日どこかで」を紹介しましょう。
1980年のアメリカ作品で、ジャンル的には恋愛になります。
原作はリチャード・マシスン。監督はジュノー・シュウォーク。


この映画を見たいと思った理由の一番はその筋の物凄さにあります。
これはただ愛の力のみで時を越える物語。

主人公は劇作家として成功した青年・リチャード。
彼はスランプに陥り湖畔のホテルに逃げ込む。
大きなホテルで訪れた著名人の写真や記念の品を展示する部屋があり、
彼はそこで美しい女優・エリーズの写真に一目惚れする。
しかし、その写真は70年前のもので、彼女は既にこの世を去っていた。

彼は決意する。どんなことをしても70年前の彼女に会いに行くと。

ここからが凄い。
彼は時間を超える体験と理論を持つ大学教授に会いに行きその方法を学び、
70年前のコインなどの小物を身につけ、現代の品を排除した部屋に閉じ篭り、
テープレコーダーに"ここは1912年だ"と吹き込んだ自分の声をひたすら聞き、
自分に暗示をかけ、遂にタイムスリップを成功させてしまう!

タイムマシンの製作に没頭する方がまだ現実的ではあります。
しかし、これほど力強くシンプルな手段はありません。
そういえば、藤子・F・不二雄のSF短篇集の一篇にも、
タイムマシンの製作に没頭していた男が遂に辿り着いた結論は、
"時を超えられると強く念じる"ことだった、という話があったはず。


小島秀夫はこのどう考えても荒唐無稽な時間跳躍を、
小物の使い方やエリーズの美しさによって丁寧に共感させている、
と評価していましたが、僕にとってはリチャードを演じているのが
クリストファー・リーヴという点で何もかも受け入れてしまった。

リーヴが演じた役柄の中で最も有名な男「スーパーマン」。
スーパーマンは事故で死んだロイス・レインを救うため、
"愛の力"を強く念じることによって時空を超えるのである。
つまり僕は、「ある日どこかで」のリチャードに
「スーパーマン」を重ねたわけです。


それだけで俄然見たくなった。ここまではまだ喜劇の域。
まだまだ、「変なものみたさ」の自分の特殊嗜好から出ていない。
しかし、「ある日どこかで」という語感と評から伝わってくる印象には、
単に変な映画ではない、不思議なものが感じられました。


そして、実際に鑑賞してみると…これが良い。

いい、というのは感動したとか、泣けた、とか温まるとかとも違う。
とにかく、いいんだよ。としか言えない。
鮮烈とも刺激的とも違う。やられた!とも違う。難解でもない。
公開当時は興行的にも失敗し短期間の上映だったらしい。
そこから、"いい"と思った人の口コミで長い時間をかけて評価されたらしい。
そうだと思います。強く焼きつくような印象ではないのです。
時折、ふと、物思いに耽るとき、思い出す。そんなセンチメンタルな作品。


僕のお気に入りのシーンを述べると、
エリーズは現代で死んでいると書いたものの、冒頭に老婦人として少しだけ、
リチャードの前に姿を現しており、この時、ある品物を手渡す。
これが懐中時計。既にこの時から魔法が始まっている。

この老婦人は、"過去でリチャードと出会った"エリーズです。

そして、問題のエリーズの写真にリチャードが惚れる場面。
写真に光が差し込み、その光の中から彼女の優しい微笑みが浮び上がる。

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