復興のため経済まわすぜ! 青森・弘前へ 青函連絡船八甲田丸
2011-05-04


かつて、青森と北海道を結ぶ海底トンネル、青函トンネルが無い時代。
人々は船で行き来し、船は青森と函館を結ぶ「青函連絡船」と呼ばれました。
1988年に連絡船は役目を終え、青森から最後に発った八甲田丸は、
現在はその歴史を伝える展示施設になっています。

■青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸公式ホームページ
 [URL]

昔、連絡船の最終航行がニュースになったときはまだ小学生でした。
皆が別れを惜しんでいたのがなんとなくですが、思い出されます。

その八甲田丸は、ワ・ラッセからすぐ見えるところにあるので、
足を伸ばして行ってみました。僕は中に入るのはこれが初めてです。

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八甲田丸前に、青函連絡船戦災の碑が建てられています。
第二次世界大戦中に米軍の爆撃によって連絡船が撃沈されており、
犠牲になった方々のご冥福を祈り平和への願いをこめられています。
この碑はまだ新しく2005年、戦災から60年目に建てられたということです。

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戦災の碑の横に立つ、現在は記念碑になった可動橋・車両搬入口の跡地。
連絡船で往来していた頃は、ここから貨車を青森駅から搬入していたそうです。
重厚な外観が歴史の重みを感じさせますね。

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連絡通路から見える、黄色と白が海に映える八甲田丸。
貨車を積み込んで運ぶくらいですからさすがという大きさです。
中は4階構造になっていて思っていたよりもかなりの見ごたえ。

2Fの受付スペースから入って、まずは3Fから。
展示室になっているこの階は、当時の乗客の服装や行商の道具、
意匠の鮮やかな時計やガラス工芸が展示されています。
歴代の連絡船のミニチュアや、資料写真も数多く展示されています。

説明によると1908年、初めての青函連絡船も就航当時、
4時間程度で渡ったそうで、当時の技術でも優秀な船だったそうです。
タービンという言葉が「速い」という意味で流行語にもなったそうですよ。

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